銀糸の雨 2



 卒業見込みが出てからというもの、もう数単位で卒業ということもあり、卒業の決まった同級生は皆、会社訪問などに勤しむようになった。
 周子は公の機関への就職を希望していたため、公務員試験を受ける準備と、採用にならなかった時の大学院への進学も考慮しながら、勉学に励むこととなった。しかし、周子の迷いは振り切れておらず、今ひとつ、勉強に身が入らなかった。
 「また雨かあ……」
 窓越しに見上げながら、真理が呟く。
 「このごろよく降るわね。嫌になっちゃうわ」
 五月雨が降る日々が続いていた。
 「このまま梅雨入りするのかなあ……。どう思う、周子?」
 大学のカフェテリアには人は疎らで、BGMとして流されているクラシック音楽が、妙に耳に大きな音として聞こえた。新入生も大学での生活に慣れ、ぼつぼつ「五月病」などという厄介な病にかかる者も出てくるころである。新入生に対する物珍しさが上級生から消え、ちやほやされていた周りが急に静かになって、ポッカリと開いてしまった心に忍び込んでくる病気。何のために大学に入ったのか、何をしたらいいのか分からなくなってしまった者がかかってしまう病気。
 ひょっとすると、自分がかかっているのは、五月病なのではないか。周子は考えた。何処へゆこうとしていたのだろう。何処へゆけばいいのだろう。――それが、分からない。
 「そうかもね。何か、沖縄の方が梅雨入りしそうだとか、ニュースでやってたけど」
 すこし肌寒い気候なので、周子はホットのカフェ・オ・レを飲んでいた。体に染み込むような温もりが、何処か遠くの出来事のように白々しく感じた。
 心が、病気なんだ。
 焦燥感に苛まれて、心が疲れている。はやく、もっとはやくと急かされて、動くことさえ苦痛になっている。でも、それは自分の所為。自分が悪い。それがわかっているから、余計に苦しくなる。
 「六月はあまり雨が多くないほうがいいな」
 真理は窓の外を見つめたまま、言った。
 「何で? 六月といえば、梅雨の真っ最中じゃないの」
 周子は呆れたように言う。
 「だって、教育実習があるのよ。久しぶりの母校で、初めての教壇に立つのは、やっぱり晴れた日がいいに決まってるじゃない」
 周子はコトリと、カップを置いた。
 「真理、教職とってたんだっけ」
 「そうよ。周子はとらなかったの?」
 真理は視線を周子に移しながら、言った。
 「だって、教師になんか、なる気ないもの。教師にならないんだから、教職をとっても仕方ないでしょう? それに本気で教師を目指している人に失礼だと思わない?」
 周子は、カップを持ち上げると、残りのカフェ・オ・レを一気に飲み干した。
 「真理は教員目指してるんでしょう? 目標に着実に近づいている気分って、どんな感じ?」
 真理は自分の紅茶が冷めかけているのを、カップから伝わる熱で知り、一口飲んだ。
 「周子だって、同じだと思うけれど。――嬉しいわね、やっぱり。母校で教師をするっていうのが、夢だったわけだし。私は私立出身だから、採用試験に通って、希望をすれば結構その通りになるもの。フランス語だし、多分大丈夫だと思うわ」
 「いいな……」
 周子は溜め息をついた。
 「……何か深刻なの?」
 「うん、まあね」
 曖昧に周子は笑う。
 「私って、何も持っていないんだなって思ったら、すごく周りが羨ましくなっちゃって……。こういうのって、良くないって分かってるけど、駄目なのよね」
 何もかもが白々しい季節が過ぎ去ろうとしているのに、まだ迷っている。この手には何も、ない。だから、焦りだけが、先走ってしまう。
 おいてきぼりをくってしまった気分。彼に、――彼女に。
 「周子、考え込むタイプだもんね。でも、学芸員の資格は取れそうなんでしょう? なら、いいじゃない。別にどうってことないわ」
 真理は明るく言う。まだ学生だし、思い込み深くしていたって始まらないと続けた。
 「肩の力、抜いたほうがいいわよ。だって、力んでいたって、始まらないし、疲れるだけ損よ」
 「――いいわね、真理って。鳥居さんもそうだけど、何か憧れちゃうな」
 ふうっと、また溜め息をつく。
 「そんなことないって。鳥居さんは逆に、あんたに憧れていたりしてね」
 真理はクスリと意味深に笑う。
 「意地悪な笑い方。私は真面目に言っているのに……」
 「あら、私も大真面目よ。絶対そうだって、確信してるもの」
 「何を?」
 「鳥居さんが、周子のことを好きだってコト」
 「はあぁー?」
 思わず、間の抜けた声を出してしまった周子である。
 「はあぁー? じゃないわよ。せっかく、こんないいこと教えてあげてるのに、そんな間の抜けた声、出すことないじゃないの」
 真理はふくれっ面になった。
 「だって、鳥居さんでしょう? そんなことあるわけないって。真理の思い違いよ」
 憧れているのは、周子の方だ。真っ直ぐで、決して逸らされない眼差しに。誰よりも深く、対象にのめり込むその姿に。心を奪われてしまう。
 真っ直ぐに、前を向いて。
 何処までも歩いてゆけたらいいのに。そうしたら、こんなにも心が乱されなくても済むのに。気になって……、憧れてしまうから、立ち止まって、見つめ続けている。
 「思い違いだって、きっと……」
 周子は、なんとなく居たたまれない気持ちになって、目を伏せた。
 「あら、私の目は確かよ。見くびらないでよね」
 ふふふ……と、真理は笑う。嫌な感じの笑い方ではなかった。
 「――どうして分かるのよ」
 伏せた目を上げて、周子は思い切って訊ねる。
 「鎌掛けたのよ。面白かったわよー。必死に平気なフリしてね」
 クスクス笑いながら、真理は話し始める。
 「それ、いつの話し?」
 真理は勢いで話し始めると、何を言ってるのだか、良く分からなくなるので、とりあえず順序通りに訊いてみる。
 「えーっと、春休み中に大学へ来たときよ。ほら、雨が降ってきて、周子が画材放りっぱなしで帰った日」
 それは、雨の日の出来事。奇跡のような雨が、降る午後の出来事。
 周子の目の前では、不思議な光景が広がっていた。
 「あの時ね、私、周子が慌てて帰ったのは、デートの約束でも忘れていたんじゃないかって、鳥居さんに言ったのよ。そうしたら、鳥居さんったら、何だか顔ひきつらせちゃってさ、『斐川さん、つきあてるヤツがいたのか』なんて言うのよ。――それで、ああ、この人は周子が好きなんだな……って、思ったわけ」
 きらきらと雨の雫が輝く。雨は窓ガラスに当たると、少し跳ねて散った。空は明るくなってきてはいるが、西のほうにはまだ暗い雲があり、まだ当分雨は止みそうにない。
 「真理がそう思っているだけかも知れないじゃないの。それに勝手に私が誰かと付き合ってるようなコト、吹聴しないでよ。鳥居さんが本気にしてたら、どうするのよ」
 「どうするって、別に周子には何も迷惑になるようなことはないじゃないの。周子が彼のコトが好きだって言うなら、そりゃ問題だけど」
 「好きとか嫌いとかの問題じゃないでしょう? 大体、何でこで恋愛論議になるのよ。私はただ、憧れてるってそう言っただけじゃないの」
 戸惑いが、隠し切れない。
 「それもそうだけど……。だけどね、周子。人の羨ましいって気持ちは、それぞれ違うところにあるんじゅないかな。周子が自分で嫌っている所に、憧れている人もいるってコト、考えたことある?」
 周子は首を横に振った。「一度もないわ」。
 「じゃあ、例えばの話しだけど、周子って男女間の友情が成立するタイプでしょう? ボーイッシュなコにはそういうタイプが多いけれど、周子はそうじゃない。どちらかっていうと、大人っぽくて、物静かよね。フェミニンな服装のほうが好きみたいだし。そういうトコロって、他の女のコにしてみれば、結構羨ましいものなのよ」
 冷めた紅茶を前に、真理が言う。
 「そんな……。だって、男だ女だって、考えて付き合ってないもの。目鼻口が、同じ場所についていれば、誰とだって、同じように接するだけよ」
 パタパタと、窓ガラスで風に吹かれた雨の雫が、音を立てる。強い風が、はげしく窓を叩く。外の眺めが、見えなくなった。
 見えない外の風景。
 目を閉じても、はっきりと思い浮かぶ、風景がある。
 その風景には、自分の姿はない。自分は外からその風景を眺めているだけにすぎない、ただの傍観者だった。色を持って、心に飛び込んできた風景。そこは、「憧れ」だけが息づく場所だった。
 「そうだろうね。でなきゃ、あんな自然に振る舞えるわけないもの。でもね、他人に憧れるっていうコトは、そういうことなんだよ」
 真理は前髪を掻き上げた。
 「周子は私のポジティブな所がいいと思っているんでしょう? でも、他の人は結構、私のコトをただの脳天気人間だと思ってるんだよ。本当はね、全然違うネガティブ人間だったんだけど、周りが勝手にそう思ってるんだから、そじゃあその通りのノーテンキになってやろうって……。それからよ。いつでも、どんな時でも、前向きでいられるようになったのは。誤解を逆手にとってやったの。――他人の感じ方なんて、みんなそれぞれ違って当然なんだもの。自分は自分。オリジナルで行こうよ」
 冷めた紅茶。冷たい雨。
 暗示的な言葉が、周子に投げ掛けられる。
 「私の言ってること、分かる?」
 真理はカップを手に取り、訊いた。
 「……良く、分からない」
 周子は感じたまま答えた。
 「周子のそういうトコ、好きよ。普通の人って、そんな素直に『分からない』って言葉は使えないもの。――分からなくたって、いいの。分かったフリするのは、簡単よね。だけど、分かったつもりのまま居続けるのって、結構辛いわよ」
 フフフ……と、真理は笑った。いつも楽しそうな彼女。見ているだけで、楽しくなる。強い彼女。弱い自分。その瞬間、分かったことがある。自分が欲しかったのは、他人を明るい気分にする「力」だということに。この手にはない、その力が欲しかったということに。
 「雨、止まないね」
 けたたましいブザーが鳴り、三時限目の講義が終了したことを告げる。
 「私は次、講義が入ってるんだけど……。周子は?」
 「今日は二限だけだもの。部室に寄って、キャンバスの具合を確かめてから、帰るわ」
 「そう……、じゃあ、またね」
 各々、立ち上がると、カフェテリアを出てゆく。
 そして、ちがう方向へと歩き始める。
 「鳥居さん……か……」
 文系統の部室棟へと歩きながら、傘の中で周子は呟く。
 彼が、周子のことを好きだと、そう真理は言った。それが信じられなくて、何度も心のなかで繰り返してみる。彼のことが、嫌いなわけじゃない。むしろ憧れているのだから。でも、人を好きになるのは、憧れだけでは成り立たないことを、知っている。
 部室棟へ着き、傘の雨を払ってたたむと、それを持って部室へ向かう。部室の扉を開くと、彼がいた。
 少しだけ、胸が痛んだ。何故だか、分からないけれど。
 真剣な表情をして、絵を描き続ける彼は、周子に気付かない。周子はそっと扉を閉じると、イーゼルに掛けたままのじぶんのキャンバスの前に立った。
 雨の日の公園。
 忘れられない、光景。
 煙るような雨が降り続く風景の、霞がかったような雰囲気の絵のため、全体にバランス良く絵の具を乗せなければならない。部分描きが出来ない、厄介な絵だ。
 軽くキャンバスの隅のほうに、指で触れてみる。まだ、乾いていない。指先に付いた絵の具を、洗い場で石鹸で落とす。
 「あれ、斐川さん、何時きたの?」
 他には誰もいない部室。鳥居の声が、低く静かに渡る。
 「つい先刻。邪魔しちゃ悪いと思って、声掛けなかったのよ」
 振り返って、周子は答える。
 「今日の講義は?」
 「ニ限目だけ。真理と一緒だったんだけど、あのコ、次、講義が入ってるから、別れたの。それで、キャンバスの具合だけ見ておこうと思って……。鳥居さんは?」
 「俺は今日は休み。で、朝からずっとこににいるワケ」
 言いながら、鳥居は指でパステルをぼかしている。彼にしては珍しい、柔らかな色調の絵だった。
 「何?」
 じっと見つめる周子の視線に、鳥居は訊いた。
 「鳥居さんにしては、珍しい色づかいだと思って。――でも、やっぱり鳥居さんって油彩向きね」
 パステル独特の効果などが、生かし切れていない。
 「――そう、思うよ。自分でも」
 鳥居は溜め息を吐いた。手にしていたパステルを、コトリと机に置く。
 「そうだ、斐川さん、シャガールは好きかい?」
 鳥居は立ち上がって、背伸びをする。その指先は、パステルの粉で染められていた。朝から、ずっと描き続けていたのだろうか。当たりだけ入れてあった、先週見た時とは大違いで、絵はほとんど完成と言っても良いくらいだった。
 暖かい日々の、花々が咲き乱れる様が、白い陽射しの中に描き出されている、そんな絵だった。人の心を和ませる、そんな色合いだった。
 「シャガール? ものすごくってほどじゃないけど、好きよ」
 絵画の叙情詩人と呼ばれる、独特の画風を持つ画家。童話の一場面を描いたような、幻想的で不思議な絵が多い。
 「県美術館でかかるんだけど、招待券が手に入ったから、一緒にどうかと思って……」
 鞄から、券を取り出して見せる。
 「会期が短いから、早めに声掛けたんだけど。どうかな?」
 渡された券を見ると、幸い、大学祭が終わってからすぐの開催なので、比較的あいた時間がある時期だが、本当にわずかな期間しか、かかっていない。二週間ほどの短い期間で次の会場へ移ってしまう。全国を回る展覧会ではあるが、駆け足で北海道から九州までゆくため、一ヶ所に留まっている期間が、制約されてしまっている。
 「でも、私なんか誘ってもいいの? 鳥居さんだったら、もっと別の人と一緒でもおかしくはないと思うけど……」
 券を鳥居に返しながら、周子は言った。鳥居は、彼自身気付いていないようだが、モテるタイプの人間である。見た目はそこそこ、頭は優秀。服装は無頓着だが、スーツなどを着ると、別人のようになって、皆が振り返る。運動神経がないわけではなく、ある程度はそつ無くこなす。何よりも、研ぎ澄まされた感性が人を惹き付けて止まない。噂では、ふられた人が何人もいるらしい。
 真理の言っていたことが、周子の頭を掠めたが、慌て打ち消す。自信が、なかったから。自分自身に。何も持っていない自分は、何の魅力もないと、そう思っていたから。だから、鳥居の次の言葉は、衝撃だった。
 「斐川さんは、俺と一緒にいるのは、嫌なのか?」
 心臓が、おおきな鼓動を起こした。
 「い、嫌とか、そういうコトは全然ないのよ。ただ……」
 「他に付き合っている相手がいるから、そいつに遠慮している?」
 誤解している――。周子はとっさにそう思った。
 『鎌掛けたのよ。デートの約束でも忘れていたんじゃないかって……』
 真理を恨みたい気分。
 「違います! 私には一切、そういった色気のある話しはありません!」
 気付くと、力一杯そう叫んで否定していた。ハッとして、手で口を押さえる。
 どうしよう。どう受け取られたんだろう。自分の語彙の拙さに冷や汗をかきながら、そっと、鳥居の様子を窺った。
 「……じゃあ、はっきり言ってもいいんだ」
 鳥居は、真っ直ぐに周子を見た。
 「もう気付いているかも知れないけれど、俺は斐川さんが、好きだ。本当は就職なり進学なりが決まってから、言うべきなんだろうけど、自分の気持ちの整理がつかなくなったんだ。――返事は、今すぐでなくても構わない。ただ、悶々とした気持ちを抱えたままで、就職活動なんか出来ないと思った。それだけだから……」
 彼はそれだけ言うと、目を伏せ、そのまま閉じた。大きく息をする。そして、再び目を開くと、こう続けた。
 「もし、応えが付き合えないということだとしても、友人という位置に、俺を置いて欲しい。斐川さんのことを考えれば、身勝手だと自分で分かっているけれど、今は聞いてくれるだけでいい。いつか、返事をしてくれれば、それでいいから」
 夢の中の出来事のようだった。目が、彼から逸らせない。体が、小刻みに震え出すのが分かった。寒いわけでもない。恐ろしいわけでも、もちろんない。
 「少し……、考えさせてください」
 長い沈黙のあと、周子は漸く目を逸らし、そうやっと告げると踵を返し、バッグと傘をつかんで部室から逃げるように走り出た。
 「斐川さん!」
 鳥居の慌てたような声が、周子を追いかける。でも、彼の伸ばされた手から、逃れることしか考えていなかった。誰もいない部室で良かったと思った。そして、ただ、誰にも出会わずにいられることを、願った。
 部室に一人残された鳥居は、ストンと椅子に腰を下ろした。天井を見上げて、大きく深呼吸をする。テレピン油の臭いが、充満する部室。雨降りで、湿った空気。彼女の残り香すら、感じられない。
 「――少し考えさせてください、か……」
 目を閉じて、呟く。自分のことしか、考えていなかった。時期が悪いことも、分かっていた。自分たちが岐路に立たされていることも、承知の上だ。
 「俺って、最低……」
 傷つけた。彼女を。彼女の心を、気持ちを。ズタズタに引き裂いてしまった。
 あんな表情をされるなんて、思ってもみなかった。男女間に友情の存在する彼女だから、きっと、戸惑ったはず。恋愛感情など、ふたりの間にあってはならなかったのだ。
 友達のままで、いれば良かった。先走った気持ちを、もう少し押さえられれば良かった。たぶん、いい友人だと、彼女は自分のことを思っていたはず。でも、自分は彼女の特別な位置にいたかった。絶対に、何年たっても忘れられない人間でいたかった。
 同じ大学に通っていても、学部が違えば出会うことも少ない。顔を合わせることすらなく、卒業してしまう。サークルが同じで、なんとなく出会って、気付いたら、目で追っていた。第一印象が強烈だったわけではない。物静かな彼女は、決して目立つほうではなかったから。だ、いつも陽の当たる場所にいて、柔らかな色彩の風景画を描いていた。眩しさは感じないのだろうか。いつも、いつでも明るい場所に彼女はいた。穏やかな横顔を眺めながら、彼女に惹かれてゆく自分を感じるようになった。
 そう、憧れていたのだ。光の中にいる彼女に。錯覚ではなく、地道に努力を重ねる彼女の存在に。
 好きだと伝えるのは、簡単。そう告げればいいだけだ、でも、その時まで培ってきた関係を、壊すことになる。切っ掛けは、ほんの小さなこと。周子に付き合っている相手がいるのではないかという、真理の一言だった。それ以来、ものが手に付かなくなって、どうしようもなかった。だからその口実に、美術展に誘った。ふられるなら、派手に玉砕してしまいたかった。そのほうが、すっきりするからだ。告げてしまえば、特別な存在になるか、それとも二度と顔を合わせることもなくなってしまうかの、ふつにひとつだとしても。告げずには、いられなかった。
 「本当に、最低だ……」
 傷つけることを、心の底では知っていた。卑怯な自分が、嫌いだった。
 「最低――」
 誰もいない部室。雨音が、静かに渡る。
 鳥居はひとり自己嫌悪に浸りつつ、何もせずにそこに居続けた。


銀糸の雨 3へ続く
2001.02.02 up



銀糸の雨 3へ


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