最後の雨



 ――これが、最後になるのだろうか――


 どうして 、こんなにも切ないくらいに愛しいのだろう。
 冷たい雨が降るこの街で、何度目かの別れの言葉を、君は僕に告げる。
 僕には分からない。
 けれど、その貌の良い唇からは、確かに「さようなら」という音が響いた。
 それが一体どういう意味なのかは、僕達には分かり過ぎるほどだった。

 何度も出逢いと別れを繰り返してきたが、たぶんこれで最後なのだろう。
 誰か、他の人の影を、君の傍に感じていた。
 そう、僕の存在は君の中ではもう、過去のものなのだ。

 ――愛している。――

 その言葉を、君に告げたことがあるのだろうか?
 君を想うだけで、涙があふれそうになる。
 その心も、体温も、何もかもが、愛しくて堪らない。
 どうして、君を繋ぎ止めることが出来なかったのだろう。

 ――君だけを、心から……。

 雨の中、駆け出す君を追い掛けて、抱き寄せる。
 ――言葉が、出て来ない。
 伝えたい気持ちは、どうしても唇には表われない。
 言葉では、決して伝えることが出来ないのは、分かっているのに、その言葉で君を僕に繋ぎ止めようとしている。
 温かい身体をただ、抱き締めたまま、瞳を閉じた。

 ――こんなにも君だけを、愛している……。

 君は、僕の腕の中、身じろぐ。それをさせまいと、僕は腕に力を込める。
 雨が――、激しさを増していた。
 「離せよ……」
 小さく、腕の中の君が言った。
 「――離せないよ。俺の気持ちは、まだ、お前の所に在るから……」
 そう、天の邪鬼な君。世界で一番、嘘つきで優しい君。
 そんな君だから、僕はこの手を離すことが出来ない。
 「……私だって――」
 雨の音に、掻き消されそうなほどの、囁きだった。
 僕は、少し力を緩め、君を見つめた。
 君が、顔を上げる。濡れたその表情は、決して雨の雫だけのものではなくて。
 「私だって、お前を愛してる……! 今でも、これからだって、きっと……!」
 真直ぐに、僕を見つめるその瞳の強さは、失われていない。
 僕を惹き付けて止まないその輝きは、今はただ、僕だけを映していた。

 「それなら、どうして……?」
 さよならを告げるのか?
 「駄目だよ……。私達は、駄目になる……。一緒に居てはいけないんだ……」
 だから、他の人を好きになる。
 けれど、その人はどう足掻いても「世界で2番目に好きな人」にしかなれない。
 互いが傍らに在るということで、他のものが何も見えなくなるから……。
 愛しくて、ただ、愛しくて――。
 他のものは、何もいらない。

 ――ナニモ、イラナイ……

 でも、それでは駄目なんだ。
 ふたりは似過ぎている。まるで、鏡に映したように、互いのコトを分かり過ぎている。
 だから、離れた方がいいんだと、君は言う。

 ――では、僕はどうなるんだ?

 「どんなに好きでも、どうにもならないコトだって、あるんだ……。私だって、誰にも負けないくらい、お前のコトを愛してる……」
 君の両手が、僕の頬を包み込む。
 強い瞳が、その瞼に隠された。そして、ためらいがちに唇が重なる。
 すぐに離れようとした君を、僕は再び両腕に力を込めて留め、更に口付けを深いものにしていった。
 君の熱が、僕に伝わる。激しい鼓動も、睫毛に宿る雫さえも。
 その吐息までも、永遠に奪えたなら……。

 永い接吻のあと、あがった息を調える間もなく、君は僕の腕から擦り抜ける。
 「――サヨナラ……」
 そう呟く君の横顔が、この上もなく悲し過ぎて。
 走り去る君を、もう追い掛けることさえ出来なかった。
 僕の愛では、傷つけるだけで君は救えない。
 それが分かっているだけ、辛かった。
 激しい雨に、銀色に煙る街で、君だけが鮮やかで、消せない。
 ――絶対に忘れられない。忘れるくらいなら、こんなにも愛したりはしない。
 僕は、雨を見上げた。

 雨に濡れ、たたずむ。
 その唇は、確かに己のそれに触れた。そして、その身体も、この腕の中にあったのに――。
 さっきまで感じていた温もりが、冷たい雨に失われてゆく。
 誰かに君を奪われるのなら、あのまま強く抱き締めて、壊してしまえば良かった……。
 この、両腕で――。

 降り頻る最後の雨の中。
 自分の身体を抱き締めながら、ただ、空を仰いでいた――。


“最後の雨” song by 中西保志
2000.10.22 up



  戻る