いつも思っているコトがある。
あの黒い物体は、本当に食べ物なのかということだ。
君と出逢って。
君と恋をして、半年になる。
こう言うのもなんだが、そこそこ人にうらやましがられる容姿と性格と安定した仕事を持った君を友人に紹介するのは、誇らしい。……その、ポケットの中身さえなければ。
「趣味は料理です。」
そう言って笑った君の、その言葉は本当に正しかった。
だが、その直後、チェッカーフラッグの箱の真っ黒なキャンディを口に放り込んだ時は目を疑った。
日本じゃ、アレはネタ食品だろ!?
「これ、食べ慣れると美味しいよ」
ああ、神様。
そう言って微笑んだ君に、僕は完全ノックアウト。
勧められるまま、なけなしの勇気を振り絞って口にしたキャンディの味に、意識はブラックアウト。
こんな状況で、誰が一体、君と僕の関係が恋愛に発展するなんて思っただろう。
スベテは、サルミアッキのせいだ。……たぶん。
聞くところによると、あの最凶キャンディのせいで、君は振られまくっていたらしい。
実を言うと、サルミアッキを常備する恋人は、僕の中でもあり得ない部類だ。
(北欧諸国の人、ゴメンナサイ。)
僕はいつも心の中で謝罪している。
「きょうはピッツァとミネストローネ、チキンの悪魔風に付け合わせはトマトの煮込み。前菜は蛸のカルパッチョ。デザートに桃のシャーベットを用意してみました」
ピッツァはマルゲリータだ。
「トマトが安売りしていたので、箱買いしてみました」
なるほど、それでこのメニューね、と僕は納得した。
そう、本当に君は料理上手だ。
味覚が変わっているのは、まぁ認めるところもあるが、基本的には本当に美味い料理を作る。
この料理の数々を口にすることなく別れていった、過去の恋人たちが哀れに思える。
――その前にあるハードルの高さは、チョモランマ級だがな。
「相変わらず、美味いな。普通の料理は」
「普通って、何だよ! 普通じゃない料理が、この世の中にあるのなら、どんなのを言うのか教えてほしいよ」
ピッツァを切り分けながら、君が言う。
「んー、鮒寿司とか……?」
「……滋賀県民に対して喧嘩を売ってんの?」
「えーっ!! だって出張の土産に『くさや』は喜んだのに、鮒寿司は『絶対買ってくるな』って言ってたじゃん」
うむ。ミネストローネも最高の出来じゃないか。トマトの酸味も程よく、さっぱりとしている。
「あれはねぇ……。私が国文科出身だから、なれ鮨のたぐいが駄目になっただけで、きっと英文科出身だったら、何も考えずに食べられたと思う」
溜め息混じりに君がそう言った。
何だか判らないけれど、国文科グッジョブだな。
「そうだ、今度これを開けてみたいと思うんだけど……」
戸棚の中から、怪しげな缶詰をとりだす。
「……家の中では絶対に開けるなよ」
「判ってます。それほど非常識じゃありません」
シュールストレミング缶を片手に、微笑む。
発酵系の食品が好きなのは知っていたから、いつかはお目にかかると思っていたブツだ。些か早かったがな。
「あと、出来れば冷蔵庫で保管しておいて欲しい。今、夏だから」
「おもいっきり発酵していた方が、美味しそうじゃない?」
「いや、そんなこと思うのは、ナンプラー食卓に常駐させている君ぐらいなものだから……」
「あれはナンプラーじゃなくて、『いしる』だってバ!」
どちらにしても、魚醤だろ? と続ける勇気が僕にはなかった。続けていたら、ナンプラーとニョクマム、いしる、しょっつるの違いを延々と話されそうだからだ。いや、話すだろう、絶対。
君と出逢って。
僕は知らないことがいっぱいあることを知った。(出来れば知りたくなかった。)
知ってよかったと思うものもなきにしもあらずだが、予め世界の変わった食べ物を調べるのは精神的にキツイものがある。見た目がグロテスクでも、食べてみて美味しいものがあることは判っている。ナマコだって食べ物だと知らなければ、得体の知れない生物だ。
でも、君と出逢って。
微笑みながら、作り出す料理の殆どが美味しいと感じるのは、頭に春が訪れているからなのだろうかと、考えてみた。
そんなことはないと、答えが出た。きっと、そうなのだろう。
これからも、この増え続ける世界中の料理のレパートリーを、死ぬまで食べることになるのだろうな……と、ぼんやりと思った。
「ねぇ、そんなことより、いつにする? 場所は河川敷の公園が良いかなぁ? 他に何作ろうかな……」
ウキウキとランチボックスの中身を考える様子を、温かい気持ちで眺めていた。
――でも、リコリスだけは勘弁してくれ!
2009.10.30 up
|